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フリーライターの 詳細へ土肥 志穂詳細へサイクリング ターミナル に滞在し、おすすめポイントや周辺サイクリングコースを紹介します!

大和名物「埴輪まんじゅう」を食べ、神武天皇ゆかりの地へ

次に訪れたのは、 詳細へ橿原神宮 のすぐ先にある 「 詳細へ神武天皇陵 」。 詳細へ 先月も昭和天皇が眠る武蔵野陵へ行きました が、こちらは初代天皇のお墓です。

いくつか御陵を回っていると、だいたい基本構造がわかってきました。長い砂利道があり、こんもりとしたお墓に鳥居が立っている…。

お墓は岩屋だったりいろいろですが、神社とは明らかに違う場所に鳥居が立っていたら、それは御陵だと判断しても良さそうです。

なぜそんなことを思ったか? だってこのあと、いくつもいくつも、御陵=天皇のお墓を見ることになったんですもの!

さすが奈良をサイクリングしていると、次から次に御陵が出てきます。 ちょっと小高い丘みたいなところに鳥居を見つけたら、近くに「●●御陵」という案内板があります。

ほかの土地ではめずらしい御陵も、奈良に来ると立ち寄ってられない!
全部訪ねたら1日では終わらないかも。

再び、通称「表参道」を北へ進みます。

それにしても広い道。
自転車も走りやすい…と思ったら…。「自転車道を舗装する工事をしています」という看板! 工期は2月13日まで。

「どういうことかな?」と思って周囲を見ると、今度は「大和中央飛鳥葛城自転車道」の看板。 そう! ここは、奈良県に3つある大規模自転車道のルートだったのです。

大和中央自転車道は、奈良県立浄化センター公園を起点に、飛鳥川に沿って南下。 近鉄橿原神宮前駅を終点とする21.2kmのサイクリングロード。

飛鳥葛城自転車道は、明日香村の 詳細へ 石舞台古墳 を起点に、慈光院近くの富雄橋を終点とする30kmのコース。この表参道は、2つのサイクリングロードかかぶる場所だったのです。

ちなみにもう1つは奈良自転車道で、近鉄奈良駅前を起点に斑鳩町法隆寺を終点とする21.9km。

いずれにしても、奈良の名所旧跡を回ることができ、レンタサイクルも充実しています。

現在、これらの自転車道を整備中で、看板も一新中なんだそうです。これはサイクリストにとってありがたい取り組み!

注意して見ると、観光名所を示す看板だけでなく、サイクリングに便利な情報が示されています。 たとえば、現在地の住所、トイレの場所などなど…。

それぞれのルート別にマップが作成されており、奈良県内の各土木事務所、関係各市町役場の観光課、もちろんターミナルでももらえます。 休憩所やトイレの場所、 レンタサイクルステーションが詳しくわかって便利。

こりゃ、渡りに船、鬼に金棒!
大和中央自転車道の看板を頼りに、次の目的地である 詳細へ今井町 を目指します。

今も生活が営まれる、江戸の町並み「今井町」へ

詳細へ今井町 」とは、 江戸時代の町並みが残る、いわば「町ごと博物館」のような地域。中には重要文化財に指定されている建物があって、 まるで江戸時代にタイムスリップしたようだといいます。

そしてここのすごいところは、今でも人が住み、生活をしている点。

以前、 詳細へ奥出雲町サイクリングターミナル を訪ねたとき、現在も当主が暮らす櫻井家を紹介し、「人が住んでいる家は、ただの博物館として公開している家より、家が生きている」 というような感想を書きましたが、こちらは「町ごと」という保存のしかたなので、見学が楽しみで仕方ありません!

大和中央自転車道の看板を頼りに、まず見えてきたのは、今井まちなみ交流センター「華甍(はないらか)」。

ここは今井町の全体像と歴史がわかる資料館です。この建物そのものにも歴史があり、もともとは旧高市郡教育博物館で、県の指定文化財になっています。

入母屋造りの2階建ての本館、左右対称に広がった平屋。絢爛豪華な明治建築が建てられたのは、大正天皇ご成婚の際、 畝傍御陵(神武天皇陵)へ参られた際の御下賜金(ごかしきん、天皇から与えられるお金)があったからだとか。

ここで、町の全体模型を見ながら、係の人からおすすめコースを教えてもらいます。 また、町の成り立ちやチェックポイントもわかるので、ただボーッと町を歩くよりは、楽しめること間違いなし。

さっそく町の中へ。
道は狭く、散策は自転車が便利そう。

華甍でもらった地図を見ながら行きますが、地図のイメージより町が小さいので、曲がり角を見落としてしまいそうです。

でも、辻ごとに案内板があるので、とっても便利。

華甍での話によると、今井町には常時見学できる建物もありますが、現在も人が生活している重要文化財は、 表にかかっている札が目印とのこと。家主の都合が合えば、「見学できます」の文字がかかっているんだそうです。

路地を進んでいると、重要文化財の音村家に見学できるという札が。普通のおうちを訪ねるように、 呼び鈴を鳴らして「おじゃまします」と中に入ります。

迎えてくれたのはこちらにお住まいの山崎寿光さん(61歳)と奥さんの眞理子さん(59歳)。ここは眞理子さんのご実家なんだそうです。 音村家は「細九」という屋号で金物問屋を営んでいました。

今井町はそもそも、称念寺を中心に作られたいった寺内町(戦国時代、寺院の境内に発達した集落)です。 江戸時代には今井札(さつ)という独自紙幣の発行を許され、商業の町として発展してきました。「大和の金は今井に七分」と言われたほど。

寿光さんに建物の説明を受けると、興味深いお話ばかり。特に、土間に残されたかまどは、なぜか一段下がっています。 「この縁に座って、暖を取っていたのではないか?」とのこと。

かまどの上を見上げると、高い天井の中央にぽっかり窓が開いています。かまどの煙を逃がす窓なんですが、 それさえも潰すことなく当時の姿を保っているということです。

奈良は夏は熱く、冬は寒い地域。
この日も−1度まで下がるというのに、開けっ放しの窓があるなんて…。

「寒くないですか?」と眞理子さんに聞くと、「建物全体を温めようとすると難しいけど、手元を温めればなんとかなります。でも寒いですよ」という答え。

でもどことなく楽しそう。「ここを守らなければならない」と思って、帰ってこられたんですものね。

でも今井町はかなり難しい立場にあると思いました。

江戸時代の町並みを残すとはいえ、現代の生活もあります。クーラーを入れれば室外機が表に出ますし、車だって必要です。

寿光さんも先日、具合が悪くなって救急車を呼ぼうとしましたが、家の前まで救急車を入れることができなかったといいます。

だから、現代の生活を快適にしつつ町並みを保存する取り組みを、町をあげておこなっているそう。

そこで私たちができることは何なのか?
観光客が大挙して訪れれば、生活をしている人のプライバシーはどうなるのか?

そんなことを考えながら寿光さんと眞理子さんにお礼を言って、再び町を散策。


詳細へ今回訪れたターミナルはこちら