通路を抜けて地上に戻ると、公園管理人の方に教えてもらったモノを見学しました。それは、観光案内板にも書いてあった「毛馬の残念石」。
案内してくれた田中カメラマンも「残念石って何だろう」と、長年疑問に思っていたそうです。
残念石とは、文字通り「残念な石」のことでした。
江戸幕府が大阪城を建て直す際、不要となった京都伏見城の城石を再利用することに。
城石は船で運ばれたんですが、途中で川底に沈んでしまった石も。その石が、淀川改修工事のときに引き上げられ、この公園に置かれたのです。
大阪城の城石になれなかったから「残念石」。
調べてみると各地にあるようで、タダの石か残念石かを見分けるには、まずは、刻印が入っているかどうか。
各地の大名が、「私の家が切り出した城石ですよ」と自慢するための刻印だったんでしょうね。
残念石が置かれている敷地には、お地蔵さんが三体並んだほこらと、 1909年に淀川改修工事が完了したことを示す記念碑が建っていました。
このお地蔵さんのほこらにも言い伝えがあります。
大阪に「六万体町」という地名があるそうですが、そこは昔、聖徳太子が仏教普及のため、六万体のお地蔵さんを造らせたと言われている場所。 そのうちの三体が、このお地蔵さんだとか。
[左から順に] 石の右に見えるのは、石を割るときに入れたクサビの跡。これも残念石の目印になります。 | |||
このサイクリングで1つめの訪問先でしたが、のっけからたくさん勉強させてもらいました!
淀川が暴れん坊で、世紀の大改修が施されたからこその歴史。
奥が深いです!
さて、本格的な淀川サイクリングのスタートです。
川の左岸を走り、上流へ。
枚方市へ入るギリギリの地点を折り返しポイントにします。
広い広い河川敷を進み、たどり着いたのは赤川仮橋。城東貨物線と平行してかけられた歩行者・自転車専用道です。
地元の人は赤川鉄橋と呼んでいるそうですが、貨物線を「いつか複線にしよう!」と仮にかけられた橋のために「赤川仮橋」というのが正式名称。
仮なので木製です。
残念なのは、自転車は降りて渡るように指示されていること。
ここは「なにわ自転車道」の始点なのに…。
木製の橋を走って渡れるなんて、旅気分全開なんですけどね。仕方なく歩いて渡りますが、ちょっとガタガタして怖い感じ。
でも内心は、すぐ脇を貨物列車が通らないか期待します。
通るとすごい迫力なんですよ!
橋の途中まで行って引き返すと、奥野さんと後藤さんはお仕事があるとのことで、ここでお別れ。
カメラマンさんと2人で川上を目指します。
淀川にはもう1つお勉強しておかなくてはならないことがあります。
それは「ワンド」と呼ばれる水の溜まり場。
ワンドは、川の淵にある「よどみ」のようにも、池のようにも見えます。
このワンドにも淀川改修工事が深くかかわっています。
ちょっと想像してもらいたんですが、川の淵から壁のようなものをいくつも突き出すとどうなるでしょう?
川を完全にふさがない程度の長さの壁です。
上空から見ると、まるで櫛のように何本も壁を出すと、水の流れは弱まり、水かさは少し増します。
この櫛のように飛び出した壁のことを「水制」といいます。
淀川改修工事後、大阪から伏見まで蒸気船を通すことになり、そのためには1.5メートルの水深が必要でした。そこで水制を造ったのです。
しかし年月が経つと水制の周りに土砂が溜まり、1つの池のように。
そこに草が生え、よどみを好む生物が住み、現在の「ワンド」となりました。
淀川と言えば「ワンド」。
よく見ないとワンドだとわからないので、しっかりチェックしてみてくださいね。
さて、ワンドを見ながら淀川の河川敷を進み(うーん、あの車止めさえなければ快適!)、豊里大橋で右にそれます。
目指すはおいしい焼きそば!